2011年9月14日 archive

誕生日お祝いのメッセージありがとうございます

おかげさまで、今年も誕生日を迎えることが出来ました。

今年は本当にさまざまなメディアでお祝いのメッセージを頂き、本当にありがとうございます。

メッセージ個別にご返信ができませんので、この場にて御礼申し上げます。

 

mixi やFacebook の誕生日通知機能、有り難いやら、ちょっと恐ろしいやら(笑)

メッセージ頂いたみなさまのお誕生日を見落としてスルーしてしまう可能性が大ですが…どうぞお許しを。

 

お誕生日を盛大に祝う習慣の無い家で育ちましたので、祝うのも祝われるのも実は苦手です。

うちは、それぞれの誕生日には家族みんなでお参りをしていました(これは今も)。

ケーキはたぶん子どもの誕生日の時はあったけど大人の時は無かったのかも。今は、(僕の子ども達がケーキを食べたいがために祖母の時までケーキが準備されますが…。)

そのお参りの度に、父、住職が僕らに言っていた言葉(引用)。

「諸人よ 覚え知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」
(もろびとよ おぼえしれかし おのがみの たんじょうのひは ははくなんのひ)

ちょっと、耳で覚えているので原典がどなただか知らず、調べても居ません、すみません。(ご存知の方、教えて下さい…)

言われてみればその通り、また、頭では分かっているものの普段はなかなか。

欧米風の Happy Birthday を形だけ真似た今の日本のやり方だと、生まれてきてオメデトウだけが強調されているように思えます。

私も、たくさんのお祝いのお気持ちを頂き、嬉しく思う反面、誰からも祝われないとすると、誕生日ほど悲しい日は無いようにも思えてしまいます…。

が、本来、誕生を祝うというのは、この世界に生まれ出た縁を喜ぶもので、生まれた本人だけがケーキとプレゼントで祝われるというものでも無いのでしょう。

生まれ出でることは本当に難しく、また、生きる、生き続けるということも本当に大変難しいこと。

そのことを良く知る先輩方が、それぞれの誕生日に「そのことに気付いてくれよ」と願いを託した行事なんでしょうね。

数え年で、お正月にみんなで歳をとっていた日本には、個人の誕生日そのものをお祝いする習慣があまり見あたりません。これはこれで非常に深い意味があるように思えました。

今、思春期支援や、性、セクシャリティの分野に関わるようになり、改めて思います。

望まない妊娠

人工妊娠中絶

望むのに妊娠できない

生まれた子供を棄てる、殺す

生まれた子が命を絶つ

善し悪しではなく、ご縁なのですが、今ここにいのちを頂いて「生きている」ということが、本当に簡単ではないということを強く感じます。

以前、高校でいのちの授業に携わり、「生まれてきたこと、今生きていることは素晴らしいこと」という表現を使ったときに、感想文で「母は私が生まれてきたことを喜んではいません」と綴った生徒さんがいました。

この方の母親を責めることはできませんが、伝え損なったと反省しました。

「素晴らしい」かどうかはその人の感じ方ですが、

「生まれてきたこと、今生きていること」が「非常に難しく希有なことで、尊いことである」のは

どのような境遇にある人にも言えることのはず。

そんなこんな、いろいろ考えながら、

「諸人よ 覚え知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」

という歌、これは、文面だけでは全然足りない、これを知り、気付いたならば、もっともっと多くのいのちと多くのご縁の中に今私が生きているということに感謝しないといけないなぁと思います。

母だけ、父母だけの縁で私が生まれてきたわけではなく、今まで命を長らえてきたわけでもない。

もっともっと長い長い繋がりと縁の中にあり、そしてこの縁は、自分が子どもを授かるか否かに関わらず、ずっとずっと縁として繋がっていく、後の世界に影響を与えていくいのちなのだとみんなが気付いて、お礼申しながら生ける世の中になれば何よりです。

 

母苦難の日、私の誕生日は、台風直撃の日。帰省中の母の実家のお寺は瓦が飛んだそうな。

母は私が中学1年の時に往生しましたので、母と過ごした誕生日というのは十数回しかありません。

直接、きちんとお礼を言った覚えがあまりなく…母親と関わるのが恥ずかしい年頃でもあったので

そのことへの後悔もありますが、「必ずみんなを仏さまに為さずにはおけない」という阿弥陀仏

の願いの中にあればこそ、母もまた仏として私と共にある…。私を産んだ母へのお礼も、また、

母が仏として伝えてくれるもっと多くのご縁への感謝も、「なもあみだぶつ」のお念仏の中に。

 

ということで、今年も誕生日をお念仏と共に迎え、過ごせたこと、大変有り難く思います。

お祝いのメッセージを下さった方も、そうでない方もどうぞ、それぞれの今ある命がそれだけで

尊いといういわれを慶び、精一杯今をご一緒しましょう。

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

 

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