Category: 随想

新年のご挨拶 2012

新年、あけましておめでとうございます。

お寺に居ますと、除夜の鐘、元旦会など、年越しの行事はあるものの、年末でも元日でも、枕経、通夜、葬儀、前年から引き続く七日参りなど、日常と変わりないとも言えるため、なかなか「さあ、新年!」とうまく乗っかることができずにいます。

ただ、どんな「日」にも、泣いている人も笑っている人もいて、それなのに、私自身は自分の都合でしかその日を見きれないのだなと毎年考える縁ではあります。

いかなる日にも「善し悪し」はありませんが、私たちは、おかげさまで正月を迎えることができました。

先人たちが、私たちに振り返り、計をたてよと大切にしてこられた区切り。込められた願いに思いを寄せながら過ごさせていただきます。

今年もよろしくお願いいたします。

ブログの更新が不定期なもので、リアルタイムどころか、すでに時系列ですら無くなっていますが、懲りずのおつきあいに感謝いたします。

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誕生日お祝いのメッセージありがとうございます

おかげさまで、今年も誕生日を迎えることが出来ました。

今年は本当にさまざまなメディアでお祝いのメッセージを頂き、本当にありがとうございます。

メッセージ個別にご返信ができませんので、この場にて御礼申し上げます。

 

mixi やFacebook の誕生日通知機能、有り難いやら、ちょっと恐ろしいやら(笑)

メッセージ頂いたみなさまのお誕生日を見落としてスルーしてしまう可能性が大ですが…どうぞお許しを。

 

お誕生日を盛大に祝う習慣の無い家で育ちましたので、祝うのも祝われるのも実は苦手です。

うちは、それぞれの誕生日には家族みんなでお参りをしていました(これは今も)。

ケーキはたぶん子どもの誕生日の時はあったけど大人の時は無かったのかも。今は、(僕の子ども達がケーキを食べたいがために祖母の時までケーキが準備されますが…。)

そのお参りの度に、父、住職が僕らに言っていた言葉(引用)。

「諸人よ 覚え知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」
(もろびとよ おぼえしれかし おのがみの たんじょうのひは ははくなんのひ)

ちょっと、耳で覚えているので原典がどなただか知らず、調べても居ません、すみません。(ご存知の方、教えて下さい…)

言われてみればその通り、また、頭では分かっているものの普段はなかなか。

欧米風の Happy Birthday を形だけ真似た今の日本のやり方だと、生まれてきてオメデトウだけが強調されているように思えます。

私も、たくさんのお祝いのお気持ちを頂き、嬉しく思う反面、誰からも祝われないとすると、誕生日ほど悲しい日は無いようにも思えてしまいます…。

が、本来、誕生を祝うというのは、この世界に生まれ出た縁を喜ぶもので、生まれた本人だけがケーキとプレゼントで祝われるというものでも無いのでしょう。

生まれ出でることは本当に難しく、また、生きる、生き続けるということも本当に大変難しいこと。

そのことを良く知る先輩方が、それぞれの誕生日に「そのことに気付いてくれよ」と願いを託した行事なんでしょうね。

数え年で、お正月にみんなで歳をとっていた日本には、個人の誕生日そのものをお祝いする習慣があまり見あたりません。これはこれで非常に深い意味があるように思えました。

今、思春期支援や、性、セクシャリティの分野に関わるようになり、改めて思います。

望まない妊娠

人工妊娠中絶

望むのに妊娠できない

生まれた子供を棄てる、殺す

生まれた子が命を絶つ

善し悪しではなく、ご縁なのですが、今ここにいのちを頂いて「生きている」ということが、本当に簡単ではないということを強く感じます。

以前、高校でいのちの授業に携わり、「生まれてきたこと、今生きていることは素晴らしいこと」という表現を使ったときに、感想文で「母は私が生まれてきたことを喜んではいません」と綴った生徒さんがいました。

この方の母親を責めることはできませんが、伝え損なったと反省しました。

「素晴らしい」かどうかはその人の感じ方ですが、

「生まれてきたこと、今生きていること」が「非常に難しく希有なことで、尊いことである」のは

どのような境遇にある人にも言えることのはず。

そんなこんな、いろいろ考えながら、

「諸人よ 覚え知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日」

という歌、これは、文面だけでは全然足りない、これを知り、気付いたならば、もっともっと多くのいのちと多くのご縁の中に今私が生きているということに感謝しないといけないなぁと思います。

母だけ、父母だけの縁で私が生まれてきたわけではなく、今まで命を長らえてきたわけでもない。

もっともっと長い長い繋がりと縁の中にあり、そしてこの縁は、自分が子どもを授かるか否かに関わらず、ずっとずっと縁として繋がっていく、後の世界に影響を与えていくいのちなのだとみんなが気付いて、お礼申しながら生ける世の中になれば何よりです。

 

母苦難の日、私の誕生日は、台風直撃の日。帰省中の母の実家のお寺は瓦が飛んだそうな。

母は私が中学1年の時に往生しましたので、母と過ごした誕生日というのは十数回しかありません。

直接、きちんとお礼を言った覚えがあまりなく…母親と関わるのが恥ずかしい年頃でもあったので

そのことへの後悔もありますが、「必ずみんなを仏さまに為さずにはおけない」という阿弥陀仏

の願いの中にあればこそ、母もまた仏として私と共にある…。私を産んだ母へのお礼も、また、

母が仏として伝えてくれるもっと多くのご縁への感謝も、「なもあみだぶつ」のお念仏の中に。

 

ということで、今年も誕生日をお念仏と共に迎え、過ごせたこと、大変有り難く思います。

お祝いのメッセージを下さった方も、そうでない方もどうぞ、それぞれの今ある命がそれだけで

尊いといういわれを慶び、精一杯今をご一緒しましょう。

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

 

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打ち上げ:夜回り先生とガッチャーミー AIDS文化フォーラム

2011 AIDS文化フォーラム in横浜 の回想続き

6年目の関わりにして初めて、エンディングと「打ち上げ」に参加。

が、なんと、今年に限って都合で打ち上げが非ビアホール…orz(そんなに飲めないから関係ないとも言う)

運営委員、ボランティアスタッフなどの関係者の輪に入れてもらって居酒屋歓談。

いつもの如く、その日、ご講演を終えた夜回り先生、水谷修さんも。AIDS文化フォーラムin京都の主会場が、水谷先生所属の花園大学から、京都駅に近い龍谷大学大宮学舎になった辺り、ちょっと関わってしまったもので、一言ご挨拶をば…とお邪魔する。例によって、AIDS文化フォーラムin京都の開催地については…突っ込まれる。2回目。この方、近寄りがたい雰囲気がスゴイのだが、話しかけるといつも気さくに話して下さるナイスガイ(気さくすぎる)。

夜回り先生「おぉ?またお前か!真宗の坊さんだな?」
私(古川)「はい。先日は本願寺少年連盟50周年でのご講演、有り難うございました。」

<中略> フォーラムでも何度か顔を合わせていたし、6月にも本願寺でお会いしてはいたが、ついに顔を覚えられてしまった…

夜回り先生「真宗は終わってるぞ。ありゃいかん。親鸞を拝むだなんて、怒るぞぉ、親鸞。」(御遠忌と御影堂のことだと思う)
「前にも君に言ったが、親鸞は迷いが多すぎる。つられて迷ってしまう。ダメだ。俺は好きになれなかった。」
「君の教団は親鸞と似てもにつかない集まりになってる。本願寺がダメだ。よし、お前、一緒に火を放とう!」
「坊主は汗水して働いてお金を手にするわけではないんだからアレじゃいかん。」
「今度本願寺の山門くぐったら、四つん這いで額ずいて回れ!できないか!?大谷派では全部脱いで這った坊主がいてくれたぞ!」

私    「おっしゃることは、解ります…(部分的に)けども…親鸞さまが迷いを見つめたからこそ…」

夜回り先生 「よし!お前、改宗しろ。俺が紹介する。一番厳しい行を修めてから坊主を名乗れ。そうしよう!」

私     「は…、はぁ…」

<中略>

心情、想いを即興で劇にして上演する、プレイバッカーズ代表にも面と向かって持論を展開
夜回り先生 「お前らのやってることは危険すぎる!人の心の中を踏みにじる行為だ!それで飯を食うとは卑怯極まりない。今すぐ辞めてしまえ!」
「お前、自分の目が死んでいることに気付いてないわけじゃないんだろ?今すぐ解散しろ!」

<中略>

私  「そこは好き好きですし、あの再現劇で救われたと思う人も居るわけですから…」
*夜回りパワーにかき消される…

<中略> 再び僕が矢面に

夜回り先生 「おいっ!しかし、今からの時代はお前ら坊主の出番だぞ。心の時代だ!理屈を超越した体験が必要だ!」
「ちょっと、君、観音経をやれ!なに?なら、般若心経。なんだと?あ、真宗だったか。」
「あ!あれやってくれ。あれがいい。ガッチャーミーだ!やれるか? よし、命がけでやれ! え?今すぐだよ!」

私     「今!?は…はい。いや、居酒屋ですぜ。はい!命がけでですね!?」

夜回り先生 「よーし!みんな、静かに聞いてくれ!京都からせっかく高名な僧が来ている!みんなで礼拝するぞ。静かに!!」

私     「(さっきまでボロカス言ってたやん…。しかも、確かに横浜と京都でしか会わないけど、ぼく佐賀って言ったし)」

そう言うわけで、かながわ県民センター向かいのビルの地下。居酒屋奥の座敷にて「敬礼文(きょうらいもん)」「三帰依(三帰依)」を唱えることに…。

僕も酔ってたのと、勢いで、腹をくくる。 合掌…

私 ♪「ナーモタッサーバガヴァートォ〜 アラハートー サンマ サン ブッダー サー」(敬礼文)
♪「ブッダーン サラナーン ガッチャーミー」(以下、三帰依)
♪「ダンマーン サラナーン ガッチャーミー」
♪「サンガーン サラナーン ガッチャーミー」 <with 礼拝>

一同 きょとーん(笑)漢文の何かが出てくるならまだしも、意味不明なパーリー語…。しかも唄!
貸切ではないのに、その間、やたら店内が静かで…。

岩室紳也先生「怪しい集まりみたいじゃないか!(笑)」

夜回り先生 しばし独演会

…決して宴会芸として披露した訳ではないのだ。夜回り先生が(無茶振りだけど)マジだったのだ。
そして、さすが。真宗僧はダメダメだと今の今まで持論を展開しながらも、三帰依(ブッダンサラナンガッチャーミー以下)を合掌して一緒に唱えてくれた。ご存知なのだ。リクエストするくらいだし。(僕に向かって拝むのはまたどうか?)

事前に散々理屈を述べておき、実のところ、「理屈を超越するのは礼拝なんだよ!」と自ら示し、すがすがしく?去る。
押しが強すぎてハチャメチャで、全部を好きにはなれないけれども、愛すべき素直な人だなぁと感心。

礼拝の後は、ダメ坊主、ダメ真宗の話は決して出さない。一連のネタなのか?いや、最後に何かガツーンと来た感じ。
(夜回り先生、有り難うございます…)

で、その後も楽しく打ち上げは続き、夜回り先生早退、みんな終電ギリギリまで異動せずに居酒屋談義。なんだかんだ面白かった。
ものすごく深い話が目の前で展開されていく感じ…。

AIDS文化フォーラムのステキな思い出の一つとなりました。

___________

【宴席でも求められた、例のパーリー語礼拝の意味】

敬礼文(きょうらいもん)と三帰依(さんきえ)は多くの仏教国で共通の、仏教者の信仰告白。(メロディーはいろいろあるはず)

日本では聖徳太子が示された、「篤く三宝を敬え」の元となる、基本の礼拝。

敬礼文は、ブッダを敬い礼しますという挨拶
三帰依は、仏教徒として、仏・法・僧の三つ…
仏…悟りを開いた者、真理に目覚めた者。仏さま。
法…仏の教え
僧…僧伽(サンガ)。お坊さん…というよりも、仏法を喜び、信仰する者の集まりのこと。
これらを、宝として敬い、尊びながら生きていきます…という信仰告白。仏法僧は個々に捉えるのではなく、3つで「仏教」を指すほうが理解しやすいかもしれない。「仏教に信順し、仏教徒として生きます」とか。

_____________

いやいや、滅多にできない、貴重な敬礼文・三帰依だった。

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息子と参るお盆、記憶にある幼少期の盆

本堂前、息子と合掌して出発

本堂前にて合掌 出発!

8月に入り、平日に遠方のお盆をお参り。本日より、ご近所での本格的お盆参りに突入。

我が家、我が寺?のしきたり、「1年生からお盆参りを手伝う」に則り、昨年、近場のお盆経デビューを果たした息子。

2年生になったので、昨年は1日だけだったお参りを少しずつ増やす。一人だけでお参りするのは3年生からにしようと思っているので、今年までは私の担当エリアで、毎日最初の10件くらいを一緒に参る。今朝は歩いて回れる地区なので、本堂前にてご本尊と親鸞さまの像に合掌して出発。

僕自身もいろいろな思い出がある、幼少期の盆。

足はとにかく痛くなる。正座というより、立ち座りの繰り返しと、慣れない雪駄歩き…

ご門徒さまにも、喜んで迎えて頂けたり…

  • とにかく歓待される
  • (時間がないのに)お引き留めに会う
  • 持ちきれない重さのお土産を頂く
  • 拝まれる
  • 高齢のご門徒さん「私の葬式はあなたに是非。」返答に困る(いつまで生きる気??)
  • 寝たきりの方と握手したら泣き出されて、悪い事したか?と焦る

はたまた…

  • 犬に追いかけられる
  • 留守宅の猫にお衣を破かれる
  • 蜂に追いかけられる(黒いから?)
  • 迷子になる
  • よそのご門徒さん宅に間違ってお参りする
  • 参るべきお宅に参りそびれる
  • 時間内に参れず真っ暗になる
  • 毎年どの家でも「何年生?」と聞かれて面倒になる
  • トイレを貸して下さいと言えずに悶える
  • 白衣の裾が自転車のチェーンに絡まって転ぶ(起きられない)
  • 酔っぱらいにからかわれる
  • 何故かいきなり怒鳴られる
  • 何故か文句言われて追い返される

あれ?いやな思い出ばっかり?

ある程度になると、地図を片手に学区と全然違うところも参っていたので、大冒険だったのは確かだ。
携帯は無いし、地図上の名前と、門徒名簿の名前と、表札の名前違うとかよくあるし。ただし、今より気温は低かった。

なんだかんだで、いろんなご門徒さんらが姿をもっていろいろな人生を見せて下さった。お寺に生まれ育ったということはそういうことなのだと思う。当時は戦争体験もよく聞かせて頂いた。仏教教義云々以前のいろんなことをこれで学んだ気がする。学校とは全然違うフィールド。

人生訓みたいなのも体験から学べる。同じ家、同じ人と長く縁があるから。おかしな話かもしれないが、「お坊さんに悪態をつく人の人生は異常に苦難が多い…」とか。苦難が多いからそうなのか、悪態つくからそうなのか…ではなくて、「他者が大事にしているものを大事に出来ない人」という括りだろうか。

人間そのものは大したことないのだが、ちびっ子でも若僧でも、お衣を着させてもらっているということは、少なくとも誰かがその人を「お坊さん」として敬って下さっているということと言える(基本的にお衣は寄進であって、自分で買って着るものではないから)。それを蔑ろにするということは、その大事にしている人々の想いを踏みにじることに他ならない…とか、小さいながらに考えたものだ…。決して仏罰とかではないと思っているあたり、さすが真宗門徒のお育て。

息子、まずは参るので精一杯だろうけれども、いろいろ体験して考えて欲しい。ご門徒さんがそれを許してくれているし、求めても頂いていると思う。

真宗は宗祖以降、本願寺のみならず、基本的にずっと世襲で続いてきたお寺が多い。善し悪しはあるけれど、善しの部分の一つがこれだと思う。田舎坊主として有り難く思うことでもある。「小さい頃から知ってる人のお葬式に立つことができる。」これは大都市では難しい。逆もまた、「小さい頃からを知っている坊さんが自分の葬式をあげる。」理屈ではなくて、なかなかいいことだなと最近思う。

僕を連れてお盆参りしてくれた父や祖母も、こういう風に思っていたかな?と思うと喜ばしい。(注:どちらも健在!)

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“Thousand Tweet” AIDS文化フォーラム

既に、地元にてお盆参りに勤しみつつ、AIDS文化フォーラムのレポート続編。

「お坊さんによる性教育授業」「宗教とエイズPart6」に引き続き、桜屋 伝衛門さん(私のAIDS文化フォーラム仲間 Twitter @den_emon)主催の「Thousand Tweet」にお手伝い参加。

AIDS文化フォーラムin横浜、毎年少しずつ全体のカラー、中身は変化しているものの、プログラムの見た目上、大きな変化や新規参入者が少ない中、この、Twitter上でつぶやかれるHIV/AIDS やセクシャルマイノリティーについての当事者や周囲・一般からの「つぶやき」を朗読というのは、なかなかタイムリーで、本質をあぶり出す企画だった。

詩や手記の朗読は以前からあちこちで開催されているが、ぼそぼそっと呟く本音の140文字にはなかなかにインパクトが。
私も、(チョイスが偏ってしまったが)順次朗読の担当をしていたため、純粋に他の朗読を聴けていなかった面はあるものの、当事者のつぶやき、周囲の完全なる誤解、いろいろ考えさせられた。

朗読の時間は2回。前半の朗読終了後に、インタビュートークの時間。今回は特に、トランスジェンダーに関わる人、当事者を順に迎え、伝衛門さんのとの対談形式で進む。なるほど、知識として理解していなかったこともあるし、知ってるつもりで当事者の感覚がわかっていなかったことも…。FTM(Female to Male)やMTF(Male to Female)のみならず、FTX、MTX(X=MやFなどはっきり二分しない領域)など…それぞれ個性であって分類することの難しさや、その必要性などなど…うーん。

お姉系がネタになっているテレビ社会の現状と裏腹に、性や性差、性指向とは何か?普通って何?「男」か「女」か明確に分類する必要性って何だろう?を改めて考えるご縁だった。

3名のインタビューの後、後半の朗読。
…なんか、伝衛門さんの狙い通りに、私自身も、前半とは印象が違って聞こえる…。なんだろう。当事者の思いを知り得たから?

人間は差別・偏見を根本的に持ち合わせている生き物であり、自己中心でしか物が見えないため、それらを「無くす」ことはできない。
なので、「私は差別も偏見もありません」というのは大間違い。大嘘で、悪気が無ければなおさら危険。

偏見でしかものが見えない私だからこそ、出来る限り相手の立場からの目線を…と心がける以上のことは出来ない。
開き直りとは違う。考え続けること、心を配り続けること…。

言うは易く行うは難しなのだが、一番、無意識に近い感じでできるのは、やはり、あらゆる立場の友達、知り合いを作ることなのかもしれないと改めて感じた。HIVやセクシャルマイノリティーだけではない。人種や国籍だってそうだし、なんだってそう。

いろいろな所で、差別発言を何とも思わず繰り返す人に出くわすことがある。
腹立たしいを通り越してしまうこともあるが、安直ながら、「友達の幅が狭いんだろうな…」ということなのかもしれない。

企画の最中から、本当にいろいろなことが頭を巡り、「静かに進む、刺激的な企画」だったと思う。
(僕は一見、集中していない風に映ったかも…。)

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人間魚雷をも偲ぶ 廃墟 川南造船所跡にて

先日、台風の影響も少し残る中、県内の仲間数名と伊万里市、浦崎(山代町)にある「川南工業 浦崎造船所」跡地を見学してきた。(自己責任大前提!)

ツタの這う外壁

川南造船所 外観

 

市内とは言え、家からは相当遠く、たまに通って気にはなっていたものの、訪問は今回が初めて。

テレビで長崎の軍艦島が特集されていた。あそこは、閉山後放棄した炭坑と居住地跡。ここは、また少し違った思いを抱く廃墟なのだと思う。

川南造船所(かわなみぞうせんしょ)とも呼ばれるこの廃墟、廃業したガラス工場を戦中に川南工業が買い取り、造船所としたもの。海軍向け艦艇、一般船舶はもちろん、ここでは、魚雷ベースの一人乗り特攻潜水艇(人間魚雷)、「回天」が製造されていたとされる。

その、切羽詰まった戦況下の、当初海軍自身も拒絶していた「搭乗員が帰還できない」兵器の製造と運用、特攻志願者と訓練、実戦…

海側から

海側から

当時の愛国心は確かに尊いものであったろうし、志願者の志も戦後に軽々しく談ずることはできないけれども、少なくとも、「誰かを幸せにする」発想ではなかったと反省せねばならないと感じる。当時の「お国のため」というのが一体何を指すのか。本来の「お国のため」とは何なのか…

いのちの軽視、クニ重視。震災後、原発の惨状を見聞きするたびに、この辺りが気になる。

ツタの這う朽ちた鉄筋コンクリート。

 

 

 

川南造船所 内部

内部の様子

大切な学びのできるせっかくの空間だが、確かにいつ崩れてもおかしくない。また、軽く言えば「不気味」でもある。
近隣住民の要望通り、近々解体されるそうな…。伊万里市も保存、一部保存などを含めて検討、すったもんだしたが…。いつも佐賀県というところの判断は時代にそぐわない「残念な」ものだ…。住民の一人としてどうにかしたいのだが、他の件でも何度も挫折しており、もう、正直、関わりたくない感が…。

 

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週刊現代7/30日号に従姉妹の論文「玄海原発3号機大爆発とその影響にいて(2010)」

母方の従姉妹、後藤曜子が立命館大学国際関係学部にて2010年に発表した論文が、「玄海原発3号機大爆発とその影響について」の記事として、週刊現代で取り上げられている。先日、佐賀大学で開催されたap bank forum in 佐賀 でも、小林武史氏らとのトークセッションに参加。

10km以内では全員が急性死。西風の影響下にあり、福岡で207万人、風下となる大阪、愛知、東京など、総死者数700万人超。

学部の論文と侮る無かれ。知らなかったが、従姉妹、京大原子炉実験所の小出裕章先生に指導を受けて執筆とな…。うらやましいw。センセーショナルな死者予想に見えるが、従姉妹は原子力工学が専門ではなく、環境経済学専攻であるため、実際のシミュレーションは小出先生による物。311以前の日本ではほとんど見向きもされない論文だったかもしれないが、今ならどうだろう。

論文の全文(PDF)は
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/GotoYoko.pdf

「佐賀県玄海原子力発電所におけるプルサーマル事故被害予測」(後藤曜子)

週刊現代の記事は7/30日号をご覧下さい。小出助教のコメント有り。

佐賀県で、日本最初のプルサーマルを了承するか否かの際、僕も、この従姉妹家族(母の実家)も、内容を良く知ってもらい、問題点を明確にするために、市民活動で学習会、コンサート…住民投票条例のための署名活動など…できることを精一杯やった。が、結局、国民的関心や議論を呼び込めず、2009年末、ひっそりと、よくわからない利権と共に、玄海原発3号機がプルサーマルにより臨界、すぐに営業運転開始…。そこからは、様子見していた自治体も次々とプルサーマルに踏み切り、過去に前佐藤知事がプルサーマル拒否していた福島第一原発3号機もプルサーマル化。そのせいで、今も、プルトニウム燃料を含む状態で、いろいろダダ漏らし。悲しくて仕方がない。

ただ、私自身は、当時、市民活動でのプルサーマル講師役もつとめながら、この論文にあるような大爆発は「無い」と踏んでいた。主に問題視していたのは、使用済み燃料がさらに扱いにくく長期にわたる管理が必要になってしまうこと。それを、子々孫々に押しつけてしまうことであった。

甘かった。

電力会社や関係企業、利権側による、データを恣意的な利用、やらせやサクラの動員、市民にはもちろん、補助金無しでは企業としてもハイリスクノーリターンであること…などは解っていたが、日本企業の技術力や細やかな安全配慮…にだまされて、爆発的な事故はおそらく無いと思っていたのだ。

まさか、2m以上の厚みで作る、建屋の壁が飛ぶような、圧力容器が開いてしまうような事故が起ころうとは…

311以前は、推進派はもちろん、脱原発側も甘かったのかもしれない。

この論文、「想定外」と一蹴せずに、あらためて、今、読んでみたい。

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お坊さん性教育 中学生の感想文を読んで

先日の中学校での性教育講演の感想文を読んだ。

みんな、すごい。それぞれ、理解度は違うものの、それぞれの興味の範囲で内容をピックアップして感想に書いているが、それが、ちりばめたトピックにうまく分散している。

1年生4クラス、3年生5クラス。今回、それぞれ直後の「帰りの会」の短時間しか記述時間を取れなかったとの話だが、みんな、自由記述で一生懸命書いてくれていた。…ので、読むのも大変だが、読み応えアリ。笑いあり、感心あり。

感想文によく挙げられていたトピック(結果的に、これが全体像)

(話の内容   …  感想文の例)

  • 「お坊さんは悩みや苦しみを抱える人(あなた)の味方」 … 「霊を慰める人と思っていた」など
  • 「次代をより良くするために授業(教育)がある」 … 「今の大人社会を変えていきたい」など
  • 「生」と「死」は別々のものではないこと …  「驚いた」など多数
  • 「いのちを大切に」ってどういうこと?の問い … 「答えきれなかった」など
  • 「必ず死ぬから『今』がある」こと … 「言われてみればその通り」「死にたいと思っていた」など
  • 「いのちはずっと繋がっている」こと … 「生まれてから死ぬまでが生だと思っていた」など
  • 「性の話は、いのちの話、私が生まれてきた話」 … 「エロ/気持ち悪いと思っていた」など
  • 「思春期の体と心の変化はいのちをつなぐ準備」 … 「気持ち悪いことと思っていた」など
  • 「体と心の変化には男女差、個人差有り」 … 「友達と違っていて悩んでいた」など
  • 「異性への関心、性指向も男女差、個人差有り」 … 「友達と違っていたけど安心した」など
  • 「相互信頼と相互尊重あっての彼氏・彼女」 … 「好きだけじゃヤバイ」など
  • 「したいこと、したくないことは話し合うべき」 … 「自分勝手でした」など
  • 「こどもは作るのではなく、『授かる』こと」 … 「確かに私は親の持ち物ではない!」など
  • 「望まない妊娠・中絶/不妊の苦しみ」 … 「簡単な話じゃないことがわかった」など
  • 「避妊に100%は無いこと」 … 「驚いた」「知らなかった」など
  • 「子供を育てる覚語と責任」 … 「考えていなかった」「まだ無理だ」など
  • 「男性側の意識と責任」 … 「男は関係ないと思っていた」「男任せにできない」など
  • 「中絶は本人も、する人(医師)も深い傷を負う」 … 「医師のことは考えていなかった」など
  • 「胎児も中絶時に逃げようとすること」 … 「生まれてなくてもいのちなんだ」など
  • 「中絶を選択せざるを得なかった場合の考え方」 … 「望まない妊娠は避けたい」など
  • 「一人で悩まず、相談できる大人を」 … 「信頼できる大人がいない」「探したい」など

項目がすごく多いように見えるが、同じ話の中での表現差。それぞれ、気に入った部分を選んで記憶していることが伺える。この分野での講演の師匠、岩室紳也先生の経験則から「短い話題をつなぐ」のが子ども達には聞きやすいということは教わっていたが、たくさんすぎると聞けないのでは?との心配は無用だった。子ども達は、自分が今聞きたいことを選択して記憶する。興味のない分野は、話者がどうがんばっても難しい。話そのものに興味を持たす必要がある(至難…)。

全体への感想としては

  • 「今を精一杯生きる」を実践したい
  • 今までも性教育は受けてきたが全然違う切り口でよかった
  • ストレートでわかりやすかった
  • 性と生を考える必要性がわかった
  • 生きることと死ぬことを真剣に考えようと思った
  • いのちを大切に…の意味を考えようと思った
  • 将来役立てます
  • 保健の授業よりわかりやすかった
  • 性に関心はなかったが、避けて通れないと思った
  • 言葉が難しい割には理解できた気がする
  • どちらかというと「生」の話だった

少数意見、番外編

  • 知らないことばかりでつまらなかった
  • 気持ち悪くなった
  • 意外と面白かった
  • 「死ぬ」を説明できないので「死ね」って言うのやめます
  • なかなかいい話だった
  • がんばってください応援してます
  • 他の中学校の生徒にも話してあげてください
  • なんでパソコンに触らずにスライドがうごくの?

話す方としては精一杯どころか、いっぱいいっぱいだったが、感想文だけみると、ものすごくいい話のように見えてしまう。これは恐ろしいことでもあるが、こういう話を本当に聞いたことがないのだと思うと、それも恐ろしい。

いのちの部分の話、性教育としては珍しいかもしれないが、お坊さんとしては「当たり前」の話で、おそらくどのお坊さんでもできるような話。当たり前すぎて、わざわざ話さないのかもしれない。どれだけ、子ども社会とお寺、仏教が乖離してしまっているか、猛省。恐らく、保護者世代でも初耳なのではなかろうか…。

田舎の中学生は純粋…に見えるが、基本的に、感想文は書きやすいトピックで当たり障り無く書く。優等生的な回答がほとんどだ。だが、いじめられた経験、今いじめにあっていること、死にたいと思うこと、最近死別の縁にあったことなど、記名で担任に見られる事も覚語の上で相談を書いている子も居る。これらは、質問を書いている子らと共に、学校宛に封書で返事を届けたい。(果たして検閲されずに届くのか?)

折角、学校が持っている性教育の時間に割り込むことができる縁があるので、これは、なんとか子ども達のために活かしていく形をつくりたい。

 

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