Category: ご報告

8月 11 2011

“Thousand Tweet” AIDS文化フォーラム

既に、地元にてお盆参りに勤しみつつ、AIDS文化フォーラムのレポート続編。

「お坊さんによる性教育授業」「宗教とエイズPart6」に引き続き、桜屋 伝衛門さん(私のAIDS文化フォーラム仲間 Twitter @den_emon)主催の「Thousand Tweet」にお手伝い参加。

AIDS文化フォーラムin横浜、毎年少しずつ全体のカラー、中身は変化しているものの、プログラムの見た目上、大きな変化や新規参入者が少ない中、この、Twitter上でつぶやかれるHIV/AIDS やセクシャルマイノリティーについての当事者や周囲・一般からの「つぶやき」を朗読というのは、なかなかタイムリーで、本質をあぶり出す企画だった。

詩や手記の朗読は以前からあちこちで開催されているが、ぼそぼそっと呟く本音の140文字にはなかなかにインパクトが。
私も、(チョイスが偏ってしまったが)順次朗読の担当をしていたため、純粋に他の朗読を聴けていなかった面はあるものの、当事者のつぶやき、周囲の完全なる誤解、いろいろ考えさせられた。

朗読の時間は2回。前半の朗読終了後に、インタビュートークの時間。今回は特に、トランスジェンダーに関わる人、当事者を順に迎え、伝衛門さんのとの対談形式で進む。なるほど、知識として理解していなかったこともあるし、知ってるつもりで当事者の感覚がわかっていなかったことも…。FTM(Female to Male)やMTF(Male to Female)のみならず、FTX、MTX(X=MやFなどはっきり二分しない領域)など…それぞれ個性であって分類することの難しさや、その必要性などなど…うーん。

お姉系がネタになっているテレビ社会の現状と裏腹に、性や性差、性指向とは何か?普通って何?「男」か「女」か明確に分類する必要性って何だろう?を改めて考えるご縁だった。

3名のインタビューの後、後半の朗読。
…なんか、伝衛門さんの狙い通りに、私自身も、前半とは印象が違って聞こえる…。なんだろう。当事者の思いを知り得たから?

人間は差別・偏見を根本的に持ち合わせている生き物であり、自己中心でしか物が見えないため、それらを「無くす」ことはできない。
なので、「私は差別も偏見もありません」というのは大間違い。大嘘で、悪気が無ければなおさら危険。

偏見でしかものが見えない私だからこそ、出来る限り相手の立場からの目線を…と心がける以上のことは出来ない。
開き直りとは違う。考え続けること、心を配り続けること…。

言うは易く行うは難しなのだが、一番、無意識に近い感じでできるのは、やはり、あらゆる立場の友達、知り合いを作ることなのかもしれないと改めて感じた。HIVやセクシャルマイノリティーだけではない。人種や国籍だってそうだし、なんだってそう。

いろいろな所で、差別発言を何とも思わず繰り返す人に出くわすことがある。
腹立たしいを通り越してしまうこともあるが、安直ながら、「友達の幅が狭いんだろうな…」ということなのかもしれない。

企画の最中から、本当にいろいろなことが頭を巡り、「静かに進む、刺激的な企画」だったと思う。
(僕は一見、集中していない風に映ったかも…。)

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8月 08 2011

宗教とエイズ Part6 AIDS文化フォーラム

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AIDS文化フォーラム in 横浜にて、「宗教とエイズ」という、トークセッションに登壇。今年で6回目を迎えるこのセッション。コーディネーター岩室紳也先生(HIV/AIDS診療医、泌尿器科)とのご縁で、私だけは6回目の登壇…(そろそろみんな飽きてないかい??)

毎回いろいろな宗派の宗教者、信仰を持つ者がHIV/AIDSとの関わりを縁として、それぞれの信仰の中での性、HIV/AIDS、性感染症、避妊、中絶、コンドーム…などなど、明文化されていない内容、普段なかなか聞かないことを話す。

もちろん、それぞれ宗派を背負うわけにはいかず、個人個人の体験と思いを。

これまで、キリスト教(カトリック、プロテスタント)、仏教(真言宗、曹洞宗と浄土真宗)の組み合わせだったが、今年初めてイスラームからの登壇があり、個人的にもとても勉強になった。大学の講義で学ぶのと、実際に信仰者とお話しするのとでは、感覚が全く違う。まして、過激派ばかりが報道されるイスラームの日本人ムスリム(イスラム信仰者)とのご縁はとても刺激的だった。

毎回のことだが、宗派の違いよりも、それぞれの個性の違いが面白い。

他派の皆様、今年の登壇はまた格別、絶妙の面白さがあったように思う。ぼくも個性を出せているだろうか?…と、その前に、もっと勉強しなくてはいけないことがまだまだ山積みであると再認識。

このセッションは、本当にAIDS文化フォーラムならではのものと思う。AIDS学会で研究者さん相手に行うのとは全然違う。

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8月 07 2011

お坊さんによる性教育授業 AIDS文化フォーラム

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開催中のAIDS文化フォーラムin横浜にて「お坊さんによる性教育 中学校編」と題し、模擬授業を実施。

来場者には中学生(の気分)になりきってもらい、学校での授業をそのまま再現しようと思っていたものの、実際やってみると、反応の違いというか、ライブ感?の違いでそのまんま再現にはならず…

生と性と死をバラバラにしない…

一口に性教育とはいえ、分野も立場も幅広く、限られた時間枠の中で、自分のスタンス全てをうまく表現することは非常に難しい。
これ(性教育)も、講演が単独であれ、組み合わせによるチームプレイなのだと再認識。

自分自身で迷っていた表現方法…二次性徴の個人差や性指向、セクシャルマイノリティについての表現など…、ご来場頂いたみなさまからのアドバイスにより、具体的に改善の方向性が見出すことができた。

同じ時間帯の別セッションと比較すると注目度は高くないと思い、知り合い数名での進行かと心配したが、30人教室とはいえ定員いっぱいのご来場を賜ることができた。有難いことと感謝するとともに、途中からで入れなかった方がもしいらっしゃれば誠に申し訳なく思う。

性を「生きる」視点から捉えるのは最近の性教育現場の主流となりつつあるが、その「生きる」ことを「死にゆく」ことと並列に語れるのは、ある種宗教者の役割のように思う。

きれいごとではなく、思春期支援や性教育の現場と信頼関係を保てる宗教者の広がりができればなぁ。

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7月 28 2011

ユニバーサルスタジオ・ジャパンにて

子どもの集い in 本願寺 への佐賀教区団体参拝。ただいま、子どもたちはUSJを満喫中。

人出はあるけれど、アトラクションの待ち時間は長くても40分。ピークの頃に比べればだいぶ乗りやすくなったようだ。暑いのは間違いないが、パレードで水をかけたりかけられたり…ジュラシックパークでびしょ濡れになったり…。はぐれて本部(と勝手に呼んでいる詰め所カフェ)にやってきたり、探しに来たり…。みんなそれぞれ精一杯。

USJのついでに本山参拝ではなくて、ご遠忌にお参りしたらたまたまUSJがあったので…の体なので…そこんとこみんなよろしく頼みますよ…。

曜日の都合で、先に遊ぶ感じになってしまったけれど、記憶の定着という点では、ご遠忌がかき消されなくていいのかも。

佐賀教区キッズサンガ・少年連盟のサイトにて状況ご報告中。
http://kids-sangha.jp

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7月 27 2011

佐賀教区キッズサンガ・少年連盟のサイト、公開

 

本願寺では、親鸞聖人750回大遠忌法要の一環として、子ども達にもご遠忌のご縁に…と、今週、「子どもの集い in 本願寺」が開催・厳修中。一泊二日を3回に分けての開催で、私も、引率として参拝いたします。

佐賀教区からは、組(そ:地域の単位)主催の団体参拝も複数すでに出発済みですが、日程違いで、教区主催もあり、明日出発、29日、30日の法要参拝です。これに、代表者として参加します。うちの長男も参拝。家族がいると若干やりにくい。または、見せしめとしてこっぴどく叱られる役となるのか…息子よw

この団体参拝の様子をブログで保護者や皆様にご覧いただくべく、佐賀教区キッズサンガ・少年連盟のサイトをプレオープンさせます。ブログでレポートすることを主眼としたため、他のコンテンツが「準備中」のままですが、子どもの集いin本願寺を仮想体験する?ためにも、是非ご覧頂ければ幸いです。

佐賀教区キッズサンガ・少年連盟
http://kids-sangha.jp

 

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7月 24 2011

人間魚雷をも偲ぶ 廃墟 川南造船所跡にて

先日、台風の影響も少し残る中、県内の仲間数名と伊万里市、浦崎(山代町)にある「川南工業 浦崎造船所」跡地を見学してきた。(自己責任大前提!)

ツタの這う外壁

川南造船所 外観

 

市内とは言え、家からは相当遠く、たまに通って気にはなっていたものの、訪問は今回が初めて。

テレビで長崎の軍艦島が特集されていた。あそこは、閉山後放棄した炭坑と居住地跡。ここは、また少し違った思いを抱く廃墟なのだと思う。

川南造船所(かわなみぞうせんしょ)とも呼ばれるこの廃墟、廃業したガラス工場を戦中に川南工業が買い取り、造船所としたもの。海軍向け艦艇、一般船舶はもちろん、ここでは、魚雷ベースの一人乗り特攻潜水艇(人間魚雷)、「回天」が製造されていたとされる。

その、切羽詰まった戦況下の、当初海軍自身も拒絶していた「搭乗員が帰還できない」兵器の製造と運用、特攻志願者と訓練、実戦…

海側から

海側から

当時の愛国心は確かに尊いものであったろうし、志願者の志も戦後に軽々しく談ずることはできないけれども、少なくとも、「誰かを幸せにする」発想ではなかったと反省せねばならないと感じる。当時の「お国のため」というのが一体何を指すのか。本来の「お国のため」とは何なのか…

いのちの軽視、クニ重視。震災後、原発の惨状を見聞きするたびに、この辺りが気になる。

ツタの這う朽ちた鉄筋コンクリート。

 

 

 

川南造船所 内部

内部の様子

大切な学びのできるせっかくの空間だが、確かにいつ崩れてもおかしくない。また、軽く言えば「不気味」でもある。
近隣住民の要望通り、近々解体されるそうな…。伊万里市も保存、一部保存などを含めて検討、すったもんだしたが…。いつも佐賀県というところの判断は時代にそぐわない「残念な」ものだ…。住民の一人としてどうにかしたいのだが、他の件でも何度も挫折しており、もう、正直、関わりたくない感が…。

 

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7月 22 2011

お坊さん性教育 中学生の感想文を読んで

先日の中学校での性教育講演の感想文を読んだ。

みんな、すごい。それぞれ、理解度は違うものの、それぞれの興味の範囲で内容をピックアップして感想に書いているが、それが、ちりばめたトピックにうまく分散している。

1年生4クラス、3年生5クラス。今回、それぞれ直後の「帰りの会」の短時間しか記述時間を取れなかったとの話だが、みんな、自由記述で一生懸命書いてくれていた。…ので、読むのも大変だが、読み応えアリ。笑いあり、感心あり。

感想文によく挙げられていたトピック(結果的に、これが全体像)

(話の内容   …  感想文の例)

  • 「お坊さんは悩みや苦しみを抱える人(あなた)の味方」 … 「霊を慰める人と思っていた」など
  • 「次代をより良くするために授業(教育)がある」 … 「今の大人社会を変えていきたい」など
  • 「生」と「死」は別々のものではないこと …  「驚いた」など多数
  • 「いのちを大切に」ってどういうこと?の問い … 「答えきれなかった」など
  • 「必ず死ぬから『今』がある」こと … 「言われてみればその通り」「死にたいと思っていた」など
  • 「いのちはずっと繋がっている」こと … 「生まれてから死ぬまでが生だと思っていた」など
  • 「性の話は、いのちの話、私が生まれてきた話」 … 「エロ/気持ち悪いと思っていた」など
  • 「思春期の体と心の変化はいのちをつなぐ準備」 … 「気持ち悪いことと思っていた」など
  • 「体と心の変化には男女差、個人差有り」 … 「友達と違っていて悩んでいた」など
  • 「異性への関心、性指向も男女差、個人差有り」 … 「友達と違っていたけど安心した」など
  • 「相互信頼と相互尊重あっての彼氏・彼女」 … 「好きだけじゃヤバイ」など
  • 「したいこと、したくないことは話し合うべき」 … 「自分勝手でした」など
  • 「こどもは作るのではなく、『授かる』こと」 … 「確かに私は親の持ち物ではない!」など
  • 「望まない妊娠・中絶/不妊の苦しみ」 … 「簡単な話じゃないことがわかった」など
  • 「避妊に100%は無いこと」 … 「驚いた」「知らなかった」など
  • 「子供を育てる覚語と責任」 … 「考えていなかった」「まだ無理だ」など
  • 「男性側の意識と責任」 … 「男は関係ないと思っていた」「男任せにできない」など
  • 「中絶は本人も、する人(医師)も深い傷を負う」 … 「医師のことは考えていなかった」など
  • 「胎児も中絶時に逃げようとすること」 … 「生まれてなくてもいのちなんだ」など
  • 「中絶を選択せざるを得なかった場合の考え方」 … 「望まない妊娠は避けたい」など
  • 「一人で悩まず、相談できる大人を」 … 「信頼できる大人がいない」「探したい」など

項目がすごく多いように見えるが、同じ話の中での表現差。それぞれ、気に入った部分を選んで記憶していることが伺える。この分野での講演の師匠、岩室紳也先生の経験則から「短い話題をつなぐ」のが子ども達には聞きやすいということは教わっていたが、たくさんすぎると聞けないのでは?との心配は無用だった。子ども達は、自分が今聞きたいことを選択して記憶する。興味のない分野は、話者がどうがんばっても難しい。話そのものに興味を持たす必要がある(至難…)。

全体への感想としては

  • 「今を精一杯生きる」を実践したい
  • 今までも性教育は受けてきたが全然違う切り口でよかった
  • ストレートでわかりやすかった
  • 性と生を考える必要性がわかった
  • 生きることと死ぬことを真剣に考えようと思った
  • いのちを大切に…の意味を考えようと思った
  • 将来役立てます
  • 保健の授業よりわかりやすかった
  • 性に関心はなかったが、避けて通れないと思った
  • 言葉が難しい割には理解できた気がする
  • どちらかというと「生」の話だった

少数意見、番外編

  • 知らないことばかりでつまらなかった
  • 気持ち悪くなった
  • 意外と面白かった
  • 「死ぬ」を説明できないので「死ね」って言うのやめます
  • なかなかいい話だった
  • がんばってください応援してます
  • 他の中学校の生徒にも話してあげてください
  • なんでパソコンに触らずにスライドがうごくの?

話す方としては精一杯どころか、いっぱいいっぱいだったが、感想文だけみると、ものすごくいい話のように見えてしまう。これは恐ろしいことでもあるが、こういう話を本当に聞いたことがないのだと思うと、それも恐ろしい。

いのちの部分の話、性教育としては珍しいかもしれないが、お坊さんとしては「当たり前」の話で、おそらくどのお坊さんでもできるような話。当たり前すぎて、わざわざ話さないのかもしれない。どれだけ、子ども社会とお寺、仏教が乖離してしまっているか、猛省。恐らく、保護者世代でも初耳なのではなかろうか…。

田舎の中学生は純粋…に見えるが、基本的に、感想文は書きやすいトピックで当たり障り無く書く。優等生的な回答がほとんどだ。だが、いじめられた経験、今いじめにあっていること、死にたいと思うこと、最近死別の縁にあったことなど、記名で担任に見られる事も覚語の上で相談を書いている子も居る。これらは、質問を書いている子らと共に、学校宛に封書で返事を届けたい。(果たして検閲されずに届くのか?)

折角、学校が持っている性教育の時間に割り込むことができる縁があるので、これは、なんとか子ども達のために活かしていく形をつくりたい。

 

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7月 18 2011

お坊さんが中学校で性教育

先日、佐賀県内の公立中学校にて、お坊さんとして性教育の授業を2コマ。

佐賀新聞の紹介記事 http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1982336.article.html

 

性教育の授業をなさっている助産師さんからの紹介で、初めて学校での性教育授業に挑戦。今までは、SHAPECというサークルを主体としてクラブやライブハウスでの活動。学校は、制約も多いしやりにくいんだろうなぁと敬遠していた。

しかし、今回は、お坊さんとして話してくれとのことで、「生と死」と「性」、即ち「生と性と死」をメタテーマに、生まれること、生きること、死にゆくことの中でのいのちの繋がりの一部として話した。他人事ではなく、生まれてきた自分も、すでにその循環、連続性の中に在るということを。

「生きる」ことと「死ぬ」ことは必ずしも逆の意味ではなく、表裏一体、ひとつの事象。

自分の「いのち」は頂いたもので、所有物ではなく、「赤ちゃん」もいのちとして授かるもので、作る物ではない。

この辺り、大きな大きなイメージとして、生徒たちに伝わっていれば有り難い。

中1は、まだまだ小学生とあまり変わらない子が多いのだけれども、こういったイメージはもっと小さい頃から持っていてもいいので、こういう感じ。

中3は、この先の進路によっては、まったく性教育の縁が無い生徒も居るはずだし、すでに興味や体験が先行している子も多いので、感染症や人工妊娠中絶に関しても少し具体的に。

予防一辺倒ではない。中絶=悪 だけを話す先生も多いが、中学3年生だと、すでに中絶を経験している子がその場にいてもおかしくない。僕はもともと、悲しみを持って生きていくことのサポートを目的に思春期支援・性教育の分野に関わったので、中絶という選択肢しかとれなかったとしても、そこから学んだことを忘れ去らずに精一杯生きようね…のメッセージも込めたつもり。

で、昨日、学校から生徒の感想文が送られてきた。自由記述で量が多いのでこれからじっくり拝読、解析。

課題も多く残った。一生懸命聞いてくれているけれどもリアクションが薄い…とか(?)、出産を伴わないセックスも人間には必要であることの表現とか…

阿弥陀さまは既にご存知なので、自分のエロさをわざわざ隠して立派そうにする必要がなく、「いのちと性」についてはかなり生徒寄りの立場で話せるはず…。キレイゴトではなく、現実として。

授業内容、量的に全部は書けないのだが、他に2校引き受けているので、検証と意見募集の場を作りたいなぁ。ご立派なお坊さんが話した方がいいこともあろうけど、幸い、この分野でもいろんな専門家や当事者とのご縁があるので、いろいろ相談して、お坊さん性教育をもっと生徒達にとって有意義なものにできればと思う。

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