Tag: お坊さん

8月 12 2011

打ち上げ:夜回り先生とガッチャーミー AIDS文化フォーラム

2011 AIDS文化フォーラム in横浜 の回想続き

6年目の関わりにして初めて、エンディングと「打ち上げ」に参加。

が、なんと、今年に限って都合で打ち上げが非ビアホール…orz(そんなに飲めないから関係ないとも言う)

運営委員、ボランティアスタッフなどの関係者の輪に入れてもらって居酒屋歓談。

いつもの如く、その日、ご講演を終えた夜回り先生、水谷修さんも。AIDS文化フォーラムin京都の主会場が、水谷先生所属の花園大学から、京都駅に近い龍谷大学大宮学舎になった辺り、ちょっと関わってしまったもので、一言ご挨拶をば…とお邪魔する。例によって、AIDS文化フォーラムin京都の開催地については…突っ込まれる。2回目。この方、近寄りがたい雰囲気がスゴイのだが、話しかけるといつも気さくに話して下さるナイスガイ(気さくすぎる)。

夜回り先生「おぉ?またお前か!真宗の坊さんだな?」
私(古川)「はい。先日は本願寺少年連盟50周年でのご講演、有り難うございました。」

<中略> フォーラムでも何度か顔を合わせていたし、6月にも本願寺でお会いしてはいたが、ついに顔を覚えられてしまった…

夜回り先生「真宗は終わってるぞ。ありゃいかん。親鸞を拝むだなんて、怒るぞぉ、親鸞。」(御遠忌と御影堂のことだと思う)
「前にも君に言ったが、親鸞は迷いが多すぎる。つられて迷ってしまう。ダメだ。俺は好きになれなかった。」
「君の教団は親鸞と似てもにつかない集まりになってる。本願寺がダメだ。よし、お前、一緒に火を放とう!」
「坊主は汗水して働いてお金を手にするわけではないんだからアレじゃいかん。」
「今度本願寺の山門くぐったら、四つん這いで額ずいて回れ!できないか!?大谷派では全部脱いで這った坊主がいてくれたぞ!」

私    「おっしゃることは、解ります…(部分的に)けども…親鸞さまが迷いを見つめたからこそ…」

夜回り先生 「よし!お前、改宗しろ。俺が紹介する。一番厳しい行を修めてから坊主を名乗れ。そうしよう!」

私     「は…、はぁ…」

<中略>

心情、想いを即興で劇にして上演する、プレイバッカーズ代表にも面と向かって持論を展開
夜回り先生 「お前らのやってることは危険すぎる!人の心の中を踏みにじる行為だ!それで飯を食うとは卑怯極まりない。今すぐ辞めてしまえ!」
「お前、自分の目が死んでいることに気付いてないわけじゃないんだろ?今すぐ解散しろ!」

<中略>

私  「そこは好き好きですし、あの再現劇で救われたと思う人も居るわけですから…」
*夜回りパワーにかき消される…

<中略> 再び僕が矢面に

夜回り先生 「おいっ!しかし、今からの時代はお前ら坊主の出番だぞ。心の時代だ!理屈を超越した体験が必要だ!」
「ちょっと、君、観音経をやれ!なに?なら、般若心経。なんだと?あ、真宗だったか。」
「あ!あれやってくれ。あれがいい。ガッチャーミーだ!やれるか? よし、命がけでやれ! え?今すぐだよ!」

私     「今!?は…はい。いや、居酒屋ですぜ。はい!命がけでですね!?」

夜回り先生 「よーし!みんな、静かに聞いてくれ!京都からせっかく高名な僧が来ている!みんなで礼拝するぞ。静かに!!」

私     「(さっきまでボロカス言ってたやん…。しかも、確かに横浜と京都でしか会わないけど、ぼく佐賀って言ったし)」

そう言うわけで、かながわ県民センター向かいのビルの地下。居酒屋奥の座敷にて「敬礼文(きょうらいもん)」「三帰依(三帰依)」を唱えることに…。

僕も酔ってたのと、勢いで、腹をくくる。 合掌…

私 ♪「ナーモタッサーバガヴァートォ〜 アラハートー サンマ サン ブッダー サー」(敬礼文)
♪「ブッダーン サラナーン ガッチャーミー」(以下、三帰依)
♪「ダンマーン サラナーン ガッチャーミー」
♪「サンガーン サラナーン ガッチャーミー」 <with 礼拝>

一同 きょとーん(笑)漢文の何かが出てくるならまだしも、意味不明なパーリー語…。しかも唄!
貸切ではないのに、その間、やたら店内が静かで…。

岩室紳也先生「怪しい集まりみたいじゃないか!(笑)」

夜回り先生 しばし独演会

…決して宴会芸として披露した訳ではないのだ。夜回り先生が(無茶振りだけど)マジだったのだ。
そして、さすが。真宗僧はダメダメだと今の今まで持論を展開しながらも、三帰依(ブッダンサラナンガッチャーミー以下)を合掌して一緒に唱えてくれた。ご存知なのだ。リクエストするくらいだし。(僕に向かって拝むのはまたどうか?)

事前に散々理屈を述べておき、実のところ、「理屈を超越するのは礼拝なんだよ!」と自ら示し、すがすがしく?去る。
押しが強すぎてハチャメチャで、全部を好きにはなれないけれども、愛すべき素直な人だなぁと感心。

礼拝の後は、ダメ坊主、ダメ真宗の話は決して出さない。一連のネタなのか?いや、最後に何かガツーンと来た感じ。
(夜回り先生、有り難うございます…)

で、その後も楽しく打ち上げは続き、夜回り先生早退、みんな終電ギリギリまで異動せずに居酒屋談義。なんだかんだ面白かった。
ものすごく深い話が目の前で展開されていく感じ…。

AIDS文化フォーラムのステキな思い出の一つとなりました。

___________

【宴席でも求められた、例のパーリー語礼拝の意味】

敬礼文(きょうらいもん)と三帰依(さんきえ)は多くの仏教国で共通の、仏教者の信仰告白。(メロディーはいろいろあるはず)

日本では聖徳太子が示された、「篤く三宝を敬え」の元となる、基本の礼拝。

敬礼文は、ブッダを敬い礼しますという挨拶
三帰依は、仏教徒として、仏・法・僧の三つ…
仏…悟りを開いた者、真理に目覚めた者。仏さま。
法…仏の教え
僧…僧伽(サンガ)。お坊さん…というよりも、仏法を喜び、信仰する者の集まりのこと。
これらを、宝として敬い、尊びながら生きていきます…という信仰告白。仏法僧は個々に捉えるのではなく、3つで「仏教」を指すほうが理解しやすいかもしれない。「仏教に信順し、仏教徒として生きます」とか。

_____________

いやいや、滅多にできない、貴重な敬礼文・三帰依だった。

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8月 12 2011

息子と参るお盆、記憶にある幼少期の盆

本堂前、息子と合掌して出発

本堂前にて合掌 出発!

8月に入り、平日に遠方のお盆をお参り。本日より、ご近所での本格的お盆参りに突入。

我が家、我が寺?のしきたり、「1年生からお盆参りを手伝う」に則り、昨年、近場のお盆経デビューを果たした息子。

2年生になったので、昨年は1日だけだったお参りを少しずつ増やす。一人だけでお参りするのは3年生からにしようと思っているので、今年までは私の担当エリアで、毎日最初の10件くらいを一緒に参る。今朝は歩いて回れる地区なので、本堂前にてご本尊と親鸞さまの像に合掌して出発。

僕自身もいろいろな思い出がある、幼少期の盆。

足はとにかく痛くなる。正座というより、立ち座りの繰り返しと、慣れない雪駄歩き…

ご門徒さまにも、喜んで迎えて頂けたり…

  • とにかく歓待される
  • (時間がないのに)お引き留めに会う
  • 持ちきれない重さのお土産を頂く
  • 拝まれる
  • 高齢のご門徒さん「私の葬式はあなたに是非。」返答に困る(いつまで生きる気??)
  • 寝たきりの方と握手したら泣き出されて、悪い事したか?と焦る

はたまた…

  • 犬に追いかけられる
  • 留守宅の猫にお衣を破かれる
  • 蜂に追いかけられる(黒いから?)
  • 迷子になる
  • よそのご門徒さん宅に間違ってお参りする
  • 参るべきお宅に参りそびれる
  • 時間内に参れず真っ暗になる
  • 毎年どの家でも「何年生?」と聞かれて面倒になる
  • トイレを貸して下さいと言えずに悶える
  • 白衣の裾が自転車のチェーンに絡まって転ぶ(起きられない)
  • 酔っぱらいにからかわれる
  • 何故かいきなり怒鳴られる
  • 何故か文句言われて追い返される

あれ?いやな思い出ばっかり?

ある程度になると、地図を片手に学区と全然違うところも参っていたので、大冒険だったのは確かだ。
携帯は無いし、地図上の名前と、門徒名簿の名前と、表札の名前違うとかよくあるし。ただし、今より気温は低かった。

なんだかんだで、いろんなご門徒さんらが姿をもっていろいろな人生を見せて下さった。お寺に生まれ育ったということはそういうことなのだと思う。当時は戦争体験もよく聞かせて頂いた。仏教教義云々以前のいろんなことをこれで学んだ気がする。学校とは全然違うフィールド。

人生訓みたいなのも体験から学べる。同じ家、同じ人と長く縁があるから。おかしな話かもしれないが、「お坊さんに悪態をつく人の人生は異常に苦難が多い…」とか。苦難が多いからそうなのか、悪態つくからそうなのか…ではなくて、「他者が大事にしているものを大事に出来ない人」という括りだろうか。

人間そのものは大したことないのだが、ちびっ子でも若僧でも、お衣を着させてもらっているということは、少なくとも誰かがその人を「お坊さん」として敬って下さっているということと言える(基本的にお衣は寄進であって、自分で買って着るものではないから)。それを蔑ろにするということは、その大事にしている人々の想いを踏みにじることに他ならない…とか、小さいながらに考えたものだ…。決して仏罰とかではないと思っているあたり、さすが真宗門徒のお育て。

息子、まずは参るので精一杯だろうけれども、いろいろ体験して考えて欲しい。ご門徒さんがそれを許してくれているし、求めても頂いていると思う。

真宗は宗祖以降、本願寺のみならず、基本的にずっと世襲で続いてきたお寺が多い。善し悪しはあるけれど、善しの部分の一つがこれだと思う。田舎坊主として有り難く思うことでもある。「小さい頃から知ってる人のお葬式に立つことができる。」これは大都市では難しい。逆もまた、「小さい頃からを知っている坊さんが自分の葬式をあげる。」理屈ではなくて、なかなかいいことだなと最近思う。

僕を連れてお盆参りしてくれた父や祖母も、こういう風に思っていたかな?と思うと喜ばしい。(注:どちらも健在!)

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8月 08 2011

宗教とエイズ Part6 AIDS文化フォーラム

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AIDS文化フォーラム in 横浜にて、「宗教とエイズ」という、トークセッションに登壇。今年で6回目を迎えるこのセッション。コーディネーター岩室紳也先生(HIV/AIDS診療医、泌尿器科)とのご縁で、私だけは6回目の登壇…(そろそろみんな飽きてないかい??)

毎回いろいろな宗派の宗教者、信仰を持つ者がHIV/AIDSとの関わりを縁として、それぞれの信仰の中での性、HIV/AIDS、性感染症、避妊、中絶、コンドーム…などなど、明文化されていない内容、普段なかなか聞かないことを話す。

もちろん、それぞれ宗派を背負うわけにはいかず、個人個人の体験と思いを。

これまで、キリスト教(カトリック、プロテスタント)、仏教(真言宗、曹洞宗と浄土真宗)の組み合わせだったが、今年初めてイスラームからの登壇があり、個人的にもとても勉強になった。大学の講義で学ぶのと、実際に信仰者とお話しするのとでは、感覚が全く違う。まして、過激派ばかりが報道されるイスラームの日本人ムスリム(イスラム信仰者)とのご縁はとても刺激的だった。

毎回のことだが、宗派の違いよりも、それぞれの個性の違いが面白い。

他派の皆様、今年の登壇はまた格別、絶妙の面白さがあったように思う。ぼくも個性を出せているだろうか?…と、その前に、もっと勉強しなくてはいけないことがまだまだ山積みであると再認識。

このセッションは、本当にAIDS文化フォーラムならではのものと思う。AIDS学会で研究者さん相手に行うのとは全然違う。

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8月 07 2011

お坊さんによる性教育授業 AIDS文化フォーラム

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開催中のAIDS文化フォーラムin横浜にて「お坊さんによる性教育 中学校編」と題し、模擬授業を実施。

来場者には中学生(の気分)になりきってもらい、学校での授業をそのまま再現しようと思っていたものの、実際やってみると、反応の違いというか、ライブ感?の違いでそのまんま再現にはならず…

生と性と死をバラバラにしない…

一口に性教育とはいえ、分野も立場も幅広く、限られた時間枠の中で、自分のスタンス全てをうまく表現することは非常に難しい。
これ(性教育)も、講演が単独であれ、組み合わせによるチームプレイなのだと再認識。

自分自身で迷っていた表現方法…二次性徴の個人差や性指向、セクシャルマイノリティについての表現など…、ご来場頂いたみなさまからのアドバイスにより、具体的に改善の方向性が見出すことができた。

同じ時間帯の別セッションと比較すると注目度は高くないと思い、知り合い数名での進行かと心配したが、30人教室とはいえ定員いっぱいのご来場を賜ることができた。有難いことと感謝するとともに、途中からで入れなかった方がもしいらっしゃれば誠に申し訳なく思う。

性を「生きる」視点から捉えるのは最近の性教育現場の主流となりつつあるが、その「生きる」ことを「死にゆく」ことと並列に語れるのは、ある種宗教者の役割のように思う。

きれいごとではなく、思春期支援や性教育の現場と信頼関係を保てる宗教者の広がりができればなぁ。

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8月 02 2011

AIDS文化フォーラム in 横浜 いよいよ今週、金土日!

今年も、AIDS文化フォーラム in 横浜 に参加(出演?出講?登壇??)させていただきます。
出演という表現はしっくりきませんし、登壇や出講というのもちょっと…??ですが、表現思いつかず…。

AIDS文化フォーラム in 横浜 2011
2011年8月5日(金)〜7日(日) かながわ県民センター(横浜駅西口徒歩5分)
【参加無料】
公式サイト
http://www.yokohamaymca.org/AIDS/
プログラム
http://homepage2.nifty.com/iwamuro/abf2011.htm

私が絡ませて頂くプログラムは、

6日(土)10:00〜12:00 「お坊さんが行う性教育!」(中学校編)

先日、佐賀県内の中学校で行った性教育講演の模擬授業を通して、お坊さん(真宗僧)ならではの性教育、性と生と死をバラバラにしないいのちの捉え方の表現について、いろいろな方からご意見やアドバイスを賜ろう…という、自分が迷っているからこその企画。これは、私主催、私主演… 即ち自作自演です。そういえば、単独でプログラムを持つのは初めてです…。来場者数が気になります。たくさん来てもらえる内容では無いのですが、0だと辛い…。

同じく 6日(土)13:00〜15:00「宗教とエイズ Part6」

宗教とエイズには、第1回から参加(登壇)させていただき、おかげさまで6年目。コンドームの達人、岩室紳也医師のコーディネートで進むフリートーキング。キリスト者、仏教者、いろいろな方々とのご縁をいただき、本当に私が学びを頂いています。HIV/AIDS を医療の側面からだけ覩るのではなく、人の営み、即ち文化として捉える…ことの試みとして始まったこのシリーズ。今年、初めて念願のイスラーム(ムスリム)からの参加が敵い、今までとはまた違ったトークになることと思います。是非。(AIDS文化フォーラムin横浜 主催)

2011 出演者:
水谷周(日本ムスリム協会 理事)
黒鳥偉作(日本キリスト教団 補教師〔プロテスタント、医師〕)
宮本信代(カトリック中央協議会HIV/AIDSデスク委員)
古川潤哉(浄土真宗本願寺派浄誓寺 僧侶)
コーディネーター:岩室紳也(公益社団法人地域医療振興協会ヘルスプロモーション研究センター長)医師

えっと、私が仏教を代表できるわけは無く、それぞれ個人としての参加です。お許しくださいまし。

さらに6日(土)16:00〜18:00「Thousand Tweet」

このフォーラムがご縁のお仲間、桜屋伝衛門さんの企画にお手伝い参加させていただきます。TwitterのTLを流れるHIVやセクシャルマイノリティーに関する「つぶやき」を朗読からみんなで感じ、考える…実験的企画。

7日(日)、毎年恒例、水谷修さん(夜回り先生)の友情出講はもちろんのこと、
6日(土)には、初めて、川田龍平さん(衆議院議員、薬害エイズ訴訟原告)もご出講。あ、伝右衛門さんの裏だ…。

HIV/AIDS 、性と生と死…ご関心をお持ち頂き、お近くの方も遠くの方も、是非ご参加下さい。

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7月 28 2011

ユニバーサルスタジオ・ジャパンにて

子どもの集い in 本願寺 への佐賀教区団体参拝。ただいま、子どもたちはUSJを満喫中。

人出はあるけれど、アトラクションの待ち時間は長くても40分。ピークの頃に比べればだいぶ乗りやすくなったようだ。暑いのは間違いないが、パレードで水をかけたりかけられたり…ジュラシックパークでびしょ濡れになったり…。はぐれて本部(と勝手に呼んでいる詰め所カフェ)にやってきたり、探しに来たり…。みんなそれぞれ精一杯。

USJのついでに本山参拝ではなくて、ご遠忌にお参りしたらたまたまUSJがあったので…の体なので…そこんとこみんなよろしく頼みますよ…。

曜日の都合で、先に遊ぶ感じになってしまったけれど、記憶の定着という点では、ご遠忌がかき消されなくていいのかも。

佐賀教区キッズサンガ・少年連盟のサイトにて状況ご報告中。
http://kids-sangha.jp

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7月 27 2011

佐賀教区キッズサンガ・少年連盟のサイト、公開

 

本願寺では、親鸞聖人750回大遠忌法要の一環として、子ども達にもご遠忌のご縁に…と、今週、「子どもの集い in 本願寺」が開催・厳修中。一泊二日を3回に分けての開催で、私も、引率として参拝いたします。

佐賀教区からは、組(そ:地域の単位)主催の団体参拝も複数すでに出発済みですが、日程違いで、教区主催もあり、明日出発、29日、30日の法要参拝です。これに、代表者として参加します。うちの長男も参拝。家族がいると若干やりにくい。または、見せしめとしてこっぴどく叱られる役となるのか…息子よw

この団体参拝の様子をブログで保護者や皆様にご覧いただくべく、佐賀教区キッズサンガ・少年連盟のサイトをプレオープンさせます。ブログでレポートすることを主眼としたため、他のコンテンツが「準備中」のままですが、子どもの集いin本願寺を仮想体験する?ためにも、是非ご覧頂ければ幸いです。

佐賀教区キッズサンガ・少年連盟
http://kids-sangha.jp

 

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7月 22 2011

お坊さん性教育 中学生の感想文を読んで

先日の中学校での性教育講演の感想文を読んだ。

みんな、すごい。それぞれ、理解度は違うものの、それぞれの興味の範囲で内容をピックアップして感想に書いているが、それが、ちりばめたトピックにうまく分散している。

1年生4クラス、3年生5クラス。今回、それぞれ直後の「帰りの会」の短時間しか記述時間を取れなかったとの話だが、みんな、自由記述で一生懸命書いてくれていた。…ので、読むのも大変だが、読み応えアリ。笑いあり、感心あり。

感想文によく挙げられていたトピック(結果的に、これが全体像)

(話の内容   …  感想文の例)

  • 「お坊さんは悩みや苦しみを抱える人(あなた)の味方」 … 「霊を慰める人と思っていた」など
  • 「次代をより良くするために授業(教育)がある」 … 「今の大人社会を変えていきたい」など
  • 「生」と「死」は別々のものではないこと …  「驚いた」など多数
  • 「いのちを大切に」ってどういうこと?の問い … 「答えきれなかった」など
  • 「必ず死ぬから『今』がある」こと … 「言われてみればその通り」「死にたいと思っていた」など
  • 「いのちはずっと繋がっている」こと … 「生まれてから死ぬまでが生だと思っていた」など
  • 「性の話は、いのちの話、私が生まれてきた話」 … 「エロ/気持ち悪いと思っていた」など
  • 「思春期の体と心の変化はいのちをつなぐ準備」 … 「気持ち悪いことと思っていた」など
  • 「体と心の変化には男女差、個人差有り」 … 「友達と違っていて悩んでいた」など
  • 「異性への関心、性指向も男女差、個人差有り」 … 「友達と違っていたけど安心した」など
  • 「相互信頼と相互尊重あっての彼氏・彼女」 … 「好きだけじゃヤバイ」など
  • 「したいこと、したくないことは話し合うべき」 … 「自分勝手でした」など
  • 「こどもは作るのではなく、『授かる』こと」 … 「確かに私は親の持ち物ではない!」など
  • 「望まない妊娠・中絶/不妊の苦しみ」 … 「簡単な話じゃないことがわかった」など
  • 「避妊に100%は無いこと」 … 「驚いた」「知らなかった」など
  • 「子供を育てる覚語と責任」 … 「考えていなかった」「まだ無理だ」など
  • 「男性側の意識と責任」 … 「男は関係ないと思っていた」「男任せにできない」など
  • 「中絶は本人も、する人(医師)も深い傷を負う」 … 「医師のことは考えていなかった」など
  • 「胎児も中絶時に逃げようとすること」 … 「生まれてなくてもいのちなんだ」など
  • 「中絶を選択せざるを得なかった場合の考え方」 … 「望まない妊娠は避けたい」など
  • 「一人で悩まず、相談できる大人を」 … 「信頼できる大人がいない」「探したい」など

項目がすごく多いように見えるが、同じ話の中での表現差。それぞれ、気に入った部分を選んで記憶していることが伺える。この分野での講演の師匠、岩室紳也先生の経験則から「短い話題をつなぐ」のが子ども達には聞きやすいということは教わっていたが、たくさんすぎると聞けないのでは?との心配は無用だった。子ども達は、自分が今聞きたいことを選択して記憶する。興味のない分野は、話者がどうがんばっても難しい。話そのものに興味を持たす必要がある(至難…)。

全体への感想としては

  • 「今を精一杯生きる」を実践したい
  • 今までも性教育は受けてきたが全然違う切り口でよかった
  • ストレートでわかりやすかった
  • 性と生を考える必要性がわかった
  • 生きることと死ぬことを真剣に考えようと思った
  • いのちを大切に…の意味を考えようと思った
  • 将来役立てます
  • 保健の授業よりわかりやすかった
  • 性に関心はなかったが、避けて通れないと思った
  • 言葉が難しい割には理解できた気がする
  • どちらかというと「生」の話だった

少数意見、番外編

  • 知らないことばかりでつまらなかった
  • 気持ち悪くなった
  • 意外と面白かった
  • 「死ぬ」を説明できないので「死ね」って言うのやめます
  • なかなかいい話だった
  • がんばってください応援してます
  • 他の中学校の生徒にも話してあげてください
  • なんでパソコンに触らずにスライドがうごくの?

話す方としては精一杯どころか、いっぱいいっぱいだったが、感想文だけみると、ものすごくいい話のように見えてしまう。これは恐ろしいことでもあるが、こういう話を本当に聞いたことがないのだと思うと、それも恐ろしい。

いのちの部分の話、性教育としては珍しいかもしれないが、お坊さんとしては「当たり前」の話で、おそらくどのお坊さんでもできるような話。当たり前すぎて、わざわざ話さないのかもしれない。どれだけ、子ども社会とお寺、仏教が乖離してしまっているか、猛省。恐らく、保護者世代でも初耳なのではなかろうか…。

田舎の中学生は純粋…に見えるが、基本的に、感想文は書きやすいトピックで当たり障り無く書く。優等生的な回答がほとんどだ。だが、いじめられた経験、今いじめにあっていること、死にたいと思うこと、最近死別の縁にあったことなど、記名で担任に見られる事も覚語の上で相談を書いている子も居る。これらは、質問を書いている子らと共に、学校宛に封書で返事を届けたい。(果たして検閲されずに届くのか?)

折角、学校が持っている性教育の時間に割り込むことができる縁があるので、これは、なんとか子ども達のために活かしていく形をつくりたい。

 

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